「喪失感」
- tenchijin | 天地人

- 11月10日
- 読了時間: 2分
更新日:11月18日
日曜の朝。この日は朝からSNSを触れないくらい忙しくしていたのですが、知人からDMをもらって彼女の死を知りました。衝撃でした。清々しくて可憐。折れてしまいそうな肢体のなかにひそむ力強さ。なにより努力家でもあり一人ひとりと大事に接する人間味のある人。私が言葉を発するよりも彼女と接したことがある人ならもっと高い語彙力で彼女を形容することができると思います。それぐらい人気が高かった。
僕が初めての個展を行ったときにもお一人で、ぽつんと来ていただいて、ああこんな自分のにも来てくださるんだなあ、と感激したことがつい昨日のことのようです。
事情の詳細については知る由もないので、触れませんが若い人が急にいなくなることについては筆舌に表せないくらい残念で残念でしょうがありません。
私も半世紀は生きてきたので、様々な死と接してきました。悲しみは確かに時間とともに薄れていくんだけどふと思い出したり、ふと頭に浮かぶのは悲しかったことじゃなくて楽しかったことのほう。悲しい顔ではなくて楽しかった時の顔。乗り越えて。とは言わないけど、受け入れて共に歩いていけるようにしていきたい。
死については田中優衣さんをモデルにした写真集「再会」では私の義弟の死について描いたりもしてみました。その義母がよく言ってることなんですけど、「写真はいっぱい残ってるから姿はいつでも思い出せるんだけど、声は忘れていくんだよね。でも時々ふっと思い出したように聞こえることがあるんだよね。あれは不思議だよね。」義母や妻は未だ引きずっているところがあって、結婚するときにも「お兄さんもひっくるめて」という言葉を使って結婚宣言をした経緯があります。若かった自分にはそれは大きな課題だったけれど、ここまで生きてきて「ひっくるめて」共に歩むことができたかな、と思っています。
とてもとても受け入れがたいのだけど、りりさんのご家族や近しいかたがたが安らかに、ともに歩んでいけるような未来を心から祈念いたしております。
それでも今の気持ちは、momoに行くとりりさんがあのか細い声で「てんちさん、おひさしぶり〜」とまた言ってくれそうな気がしてならないのです。

「永江りり」




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